2011/05/27

石川 元章 氏/変わらなければ、続かない

タイトル: 変わらなければ、続かない
講師:石川 元章 氏/㈳倫理研究所 法人局 法人スーパーバイザー
日時:2011年5月27日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F



2011/05/20

経営者イブニングセミナー/ 「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会

2011.5.20. 経営者イブニングセミナー
「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会 (葉山福祉文化会館)

今話題の「原発」問題について、いろいろな気づきを得られる上映会となりました。
多くの方にご参加頂き誠にありがとうございました。

福田 妙子氏 /生きる力と食育

タイトル:生きる力と食育
講師:福田 妙子氏/有限会社陰陽洞 代表取締役
日時:2011年5月20日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F







2011/03/11

第30回MS 田中 耕一氏/モーニングセミナーは宝の山

タイトル:モーニングセミナーは宝の山
講師:田中 耕一氏/平塚市倫理法人会 専任幹事/株式会社田中紙店 代表取締役
日時:2011年3月11日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は平塚市倫理法人会の専任幹事でもある、株式会社田中紙店、代表取締役の田中耕一氏を講師にお招きした。田中氏は平塚市倫理法人会でも、入会後一番変わった男と呼ばれているほど、倫理を実践している方だ。加えて、家庭倫理の会にも入会しており、千日皆勤も間近との事。本日は実践体験の報告とモーニングセミナーの効用について語って頂いた。

田中氏は倫理法人会に入会してまだ2年半しか経っていないそうだ。(とてもそうは見えないのだが。)田中氏の営む田中紙店は創業88年の会社で、氏はその3代目だそうだ。田中紙店は商店街の中心部に50坪を構える老舗の文房具店で、店頭での販売に加え、湘南地区の最も古いアスクルの代理店であり、県や市など役所官庁などとの取引も多いそうだ。とは言え、文具取扱業は衰退業種である事は否めず、この10年で文具店はなんと1/3まで減少したのだそうだ。近隣で言えば、大磯にはもう一店舗なく、平塚でも周りの文房具店は殆どなくなってしまったそうなのだ。確かに昨今はスーパーやディスカウントストア、百円ショップなどの台頭により、文具店で文具を買うことは少なくなった。

そんな状況の中で事業を引き継いだ田中氏は、先代から周りに迷惑をかけないうちなら、事業を辞めても良いと言う、一見優しくも実は厳しい言葉をかけられていたそうだ。そのような厳しい状況の中で、倫理法人会と出会い、この2年半の中で状況が少しづつ変わって来たのだそうだ。田中氏曰く、倫理法人会の看板でもあり、一番美味しいところは、「早起きは反映の第一歩」、「今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます」というこの標語だと思うとの事。

まずは、この二つを実践するのがおすすめだそう。氏が元々倫理法人会に入会したきっかけは平塚の法人会が立ち上がって間もない頃、元々知り合いだった当時の会長、副会長が尋ねて来て、半ばお付き合い的な形での入会だったらしい。しかし、実際に参加してみて、すぐにこれは本物の会だという事に気付いた。田中氏は商工会議所やJC等の法人組織でも役を務めたり、研修などにも積極的に参加して来たが、自分の弱さや甘さ、そしていい加減さなども加わり、あまりに身になって来なかったのだそうだ。倫理法人会に入会する前の氏は出社時間も従業員の方々と変わらないくらいの時間だったり、年に数回は朝帰りの体調不良や風などで所謂ずる休みもしていたそうだ。しかし、倫理によって田中氏は大きく変わった。なんと2008年の10月20日から一日たりとも倫理を休んではいないのだそうだ。平日は家庭倫理の会へ毎朝5:00から参加し、金曜日は平塚市倫理法人会へ、1月2日には丸山敏雄先生の眠る多磨霊園に墓参するのだという。なんと一日も休まず、本日は881日の倫理への出席だそうだ。何とも恐れ入る限りである。正直なところ、881日の間、いつも体調が良いときばかりではなかったそうだが、1000日皆勤は自分との約束なので、這い蹲ってでも参加するという強い信念のもと、今まで皆勤を続けてきた。他人に褒められるためではなく、自分との約束を果たすため、粛々と1000日皆勤に向かって粛々と続けて行きたいと思えるようになったのも、他でもない倫理のお陰だと氏は言う。この881日間の実践に伴って氏に起こった体験や日々感じている事についてもお話いただいた。

氏は毎朝遅くとも3時33分に目を覚ますのだそうだ。これは万人幸福の栞の第三条33ページ(運命自招)に由来するのだと言う。朝起きは兎に角大事で、例え前日にサッカーのワールドカップを深夜まで観戦していても必ず、ぱっと起きる。それが大切である。朝起きをしな事が我侭の根源であるのだ。朝起きは自分自身を純情(すなお)に清浄化して行くことなのだと。

頼まれ事について。損得で返事をしては何も変わらない。今までの自分の価値観で判断する事になるからだ。自分の経験の中だけで判断していては何も変わらない。何かを受けた時は、必ずNoと言わず、ハイと答える。それが大事で、変化を起こす事になる。

倫理法人会の参事でもあり、自分の師匠のナカリングループ会長中嶌武夫という方がいる。日本で一番ベンツを売る方だそうだ。この方の素晴らしいところは決してNOと言わないのだそうだ。元々は二輪車の販売からスタートし、今ではベンツの正規ディーラーと国内自動車メーカーの販売店を経営するナカリングループの創業者である。中嶌会長は「今まで人に何かを頼まれて断った事は一度もない」そうなのだ。二輪車の販売しかしていなかった創業当時も、客に自動車は売らないのか?と言われ、まずは「ハイ売ります」と答えて、自動車の販売を始めたのだと言う。正に顧客志向そのものであり、現在の成功のカギがそこに含まれているのでなかろうか。田中氏は中嶌会長と倫理を通じて知り合い、その後も交流を続けているのだそうだ。このような師と呼べる方に出会え、お付き合いが出来るというのも、倫理の醍醐味である。田中氏は師匠の中嶌会長を手本としていろいろな事を真似しているそうだ。

昨年の5月は会社の決算月であり、七夕の準備、高津区の立ち上げのお手伝いなどで、多忙を極めていた。しかし、死ぬ気で立ち向かい全てをやりきった。「ハイ」の実践は非常に大事だと思う。大きな声ですぐに「ハイ」と答える。それが大事である。入会当初、平塚市倫理法人会で幹事の役がついた田中氏は、ハイの返事、例の所作などを、辞令交付式で教わり、身につけた。それが平成8年の7月19日。その後、11月6日に実践の結果が出た。地球・絵手紙ネットという6000人以上の団体があり、その会合が箱根で開催され、田中氏も絵手紙の道具を取り扱っている事もあり、招待を受け、業者表彰を受けた。全国から先生と呼ばれる方々が400名以上参加する会であった。何人もの表彰があったが、皆、返事の声は小さく、礼の所作もあまり良くなかったところに、田中氏の順番が来た。田中氏は辞令交付式同様に、大きな声で「ハイ」と返事し、壇上に上がり、キビキビとした美しい所作で賞状を受取った。以降の表彰者は田中氏を真似るように大きな声で返事をし、賞状を受け取るようになった。最後の記念撮影の時、業者という事もあり、遠慮して端に居たが、郵政省のキャリアでもあった先生から、お呼びがかかり、中央で写真に収まった。

また最後の挨拶をする筈だった方の代打で、指名がかかり、アドリブで挨拶をしたところ、大うけで、その後、全国から絵手紙の道具の注文が入り、なんと売上が3倍になったそうだ。教わった事をただただ愚直に実践するだけでも、これほどの効果があるものなのだと田中氏は強調する。
田中紙店では倫理の朝礼を行っており、田中氏も従業員の方々も得意先で気持ちの良い挨拶を実践しており、いろいろな変化が起こっているのだそうだ。

それから、こんなこともあった。田中氏が銀行の総会に出席した際に、背筋を伸ばし、背もたれを使わず、最後まできちんとした姿勢で座っていた。それを見ていた銀行の相談役が、あれは誰だ?という事になった。その後、その相談役が受勲することになり、そのお返しの品の注文が田中紙店に入ったそうだ。

田中氏は自分の価値観に拘らず、あえて嫌な事でも進んでやってみる、「ハイ」と答える。朝早く起きる、一円もかからない実践を行う事で、必ず環境が変わり、人生が変わると説く。

倫理を始めた当時、家庭の状況、仕事の状況も決して順調ではなかったというが、毎日倫理に真摯に向き合い実践する事で得られた素晴らしい体験をお聞きし、何とも勇気付けられ、また実践の至らなさを感じた。

最後にモーニングセミナーでは素晴らしい経営者との出会いがある。講話を聴き、朝食をともにすることで、より深く接する事が出来る。またその気になれば、師と呼べる方々との絆を深める事が出来、いろいろなアドバイスを受けることも出来るとモーニングセミナーの素晴らしさも語って頂いた。改めて倫理の奥深さ、そして実践の重要さを再認識する朝となった。

2011/03/04

第29回MS 新井 信昭氏/私の人生における3回のリセット

タイトル:私の人生における3回のリセット
講師:新井 信昭氏/新井国際特許事務所 弁理士/(株)グリーンアイピー 代表取締役
日時:2011年3月4日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は弁理士の新井信昭氏を講師にお迎えした。新井氏は現在大学でも教鞭をとられているとの事で、滑らかな語り口で、3回の人生のリセットを語って頂いた。


新井氏は昭和35年大田区の生まれで福生で育った。当時横田基地にはB29が飛んでいたそうだ。高校卒業後、アルバイトとして西友デパートに勤務するも、幼なじみからみせられた大学の卒業証書に衝撃を受け、このままじゃ行けないと思ったのが22歳の時。その後、第一回目の青春のリセットとなる世界一周旅行を思いつく。通常の勤めに加えて新聞配達、その後タクシー運転手などに従事し、1年間で180万円を貯め、世界一周旅行を実現させた。世界旅行の最中で印象深かったのは、イスラエルで、そこにはバナナやアボガトの栽培、収穫などのアルバイトをしたそうだ。その後、当時国交の無かったエジプトとも滞在中に国交正常化が実現し、エジプト、マカオ、香港などを経て1年間の世界一周旅行が成功した。

帰国後、社会復帰をすべく、1年間の海外生活や横田基地の近くで育った事から、英語の力を見込まれ、秋葉原の免税店に就職。そこで5年間働き、その間にそこで奥様と出会い結婚し、お子様も生まれた。しかし、その仕事が天職ではないと感じ始め、家族の事や将来の事を考えた時、またリセットの時がやって来た。

都立高校卒業の学歴では、なかなか活躍の場も限られており、悩んだが、当時少しづつ話題になりつつあったライセンスビジネスというキーワードから、弁理士を目指す事にした。同級生に対するライバル心もあり、資格を取得して彼を見返したいという気持ちもあったそうだ。今でさえ1万人以上の弁理士がいるが、弁理士は当時(平成5年)は3,500名程度しかおらず、毎年の合格者は100人程度、合格率2.8%の狭き門だった。新井氏は途中諦めることなく8年間をかけてその資格を取得した。なんと弁理士を目指す事を決めた時にお腹の中にいた息子さんが、合格した時には小学校3年生になっていた。その間は仕事の傍らと週末は図書館通い続け、勉強、勉強の8年間だったそう。
合格後は、弁理士事務所に勤めるも、大学へ行き、いつか教壇に立つという夢はいつも忘れていなかった。サラリーマン時代に芝浦工業大学の試験に合格し、当時務めていた事務所の理解もあり、同時期に独立し、自身の事務所も立ち上げる。実はその資格を取ることで、ある程度時間が自由になる事から、大学へ通うことも視野に入れていたのだった。息子さんと同世代の学生たちと苦しくも楽しい学生生活を過ごし、20世紀中に大学を卒業するという目標も達成した。

そして第三のリセットはやはり密かな目標でもあった教壇への道だ。芝浦工業大学の近くに、東京農工大学大学院があり、弁理士という資格取得者である事も手伝って第二期生として見事合格。その後、教壇へ立つという夢を恩師に話したところ、その先生は「君たちの夢を叶えるのが私のミッションだから」と言う言葉通り、教壇に立つ機会を与えられた新井氏は、現在、東京農工大学にて教鞭をとっている。

現在、「知的財産マネージメント」を学生に教えているが、その実、人生はリセットがきくものであるという事も同時に教えている。昨年の日本国内の自殺者がまた3万人を超し、特に就職が出来ない事を苦にした学生の自殺が増えている事に、新井氏は非常に残念な思いを抱いているそうだ。

20代前半にタクシーの運転手時代に接客業で経験した事が、その後の人生に大きな影響を与えていると言う。そこには人生の縮図があると言う。多くのお客を乗せていると人には4つのタイプがある事に気付いたそうだ。1)教養も無く、人としても最低 2)教養は無いが人として素晴らしい 3)教養はあるが、人としては× 4)教養もあり、人としても素晴らしい。
新井氏は4)のタイプの人になりといと常々精進しているのだそうだ。

新井氏が学生に良く話している事がある。ハンディキャップは乗り越えるためにあると。新井氏が受けた弁理士資格も殆どの合格者が旧帝大と早慶の学生や卒業生ばかりのかなで、試験に合格するという事はかなりのハンディだったと思うが、それを克服した時にはアドバンテージに変わるのだ。

また、就職に関する相談も少なくないようで、縁があって入っる事になった会社はきっとあなたにとって良い会社である事は間違いない、しかし、もしそうでない時はリセットをすれば良いと話をするようにしているのだそうだ。新井氏のように多くの経験を積んで教壇にたった先生はエリートの先生に比べて魅力的に違いない。

新井氏の次の夢(第4のリセット)は現在在籍している大学院を卒業し、Drコース(博士号)の資格を取得し大学で教える事をライフワークする事だそうだ。

新井氏は過去のリセットについて軽快に、ユーモアを交えながらお話頂いたが、そのリセットを成功させた裏には並々ならぬ努力と苦労があった事は想像に難くない。正に実践をしてきた方なのだ。そのような人の言葉は重く、心に響く事を改めて感じた。参考になる話も沢山あり、非常に充実したMSとなった。新井先生には改めて心から感謝したい。感謝。

株式会社グリーンアイピー

新井国際特許事務所


2011/02/25

第28回MS 田島 眞治氏/倫理の実践により家庭・会社が変わる

タイトル:倫理の実践により家庭・会社が変わる
講師:田島 眞治氏/社団法人倫理研究所 法人スーパーバイザー
日時:2011年2月25日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は法人スーパーバイザーの田島眞治氏を講師にお迎えした。田島氏は群馬県倫理法人会及び太田市倫理法人会の相談役でもあり、前日の幹部研修でも講師を務めて頂いた。

田島氏のこれまでの道のりは決して平坦ではなく、多くの苦労と困難を乗り越え現在至っており、その一部をお聞かせいただいた。

以前から人生は神の演劇である、また自分にはサラリーマンは向いていないと常々感じていた、氏は学校卒業後、先輩が始めた会計事務所を手伝うも、そろばん(当時はそろばんによる計算が普通だった)が出来ない事が致命傷となり、2年でその事務所を去る。

農家の長男だった氏は、家業を手伝い始めたが、26歳の時、父親がわずか51歳で心筋梗塞で倒れそのまま即死。27歳で幼なじみと結婚するも嫁姑の不仲から、農家の後継を諦めた。結果、3000坪以上の土地の相続も次男へ。その後、スーパーへ就職するも鮮魚売場に配属され、結局2年で退職。

その後、税理士事務所に就職。32歳の時に税理士試験に合格し、33歳の時に独立開業した。開業後はがむしゃらに働いた。業績は投入した時間に正比例するというランチェスターの法則に従い、元旦以外はすべて朝の9:00~夜の11:30まで働いたと言う。公庫から500万の借り入れをしており、3年間で契約先を100社にするという目標をたて、必死に働いていたが、家庭を顧みる余裕はなかった。当時の奥さんの人身事故をきっかけに口論となり、一年の別居生活を経て、緑色の紙を持って現れた、妻と離婚する事になった。その時自分自身の全てが否定されたような気がして相当落ち込んだそうだ。また、家も新築したばかりで借金だけが残ってしまった。そんな時、やはり農家を継いでおけば良かったのではなかいと後悔のしきりに頭を過ぎったそうだ。

家庭がそのような状況で仕事のほうが上手くいくはずもなく、融資を受けた軍資金も底を尽いた。ボーナスの支払いのために友人を訪ね周り何とか100万円を掻き集めた。そんな時腹部に激痛を覚え、病院に行くと尿管結石と診断され、即入院となった。業績は改善しないが、心とは裏腹に体が動かず、その時は本当に倒産をも覚悟したそうだ。しかし毎日病院から従業員5人へ1人づつに電話をかけ何とか会社を支えて欲しいと頼んだ。従業員の方々をそれに答え、頑張りを見せてくれ難局を乗り切った。幸いにも病気は大事に至らず、短期間で退院する事が出来た。

その後、38歳の時に念願の顧問先100社を達成したが、何か楽しくなく喜びが涌いてこない状態となった。TKCの勉強会でユングの深層心理などを学び、カウンセリングを受けたところ、自己実現力やエネルギーはあるが、愛和が足りず、自己中心的だと言われた。従業員へのヒアリングなども行ってもらった結果、従業員のすべてが田島氏は話を聞いてくれない、わがままで独断的であるという印象を持っていたそうだ。

翌年39歳の時に過去最高の売上を達成し、長女も産まれた。また翌年には法人化も実現した。

そんな時、取引先の社長がA4の緑色の申込用紙を持ってやって来た。それが倫理法人会の申込書だった。当時は朝の4時頃にやって床に就くような状態だったため、入会はしたものの、半年間は一回も参加しなかった。その後、月一回程度参加するようになった時に、倫理研究所の先生の講話を聴く機会があった。その際に大声で、「離婚なんかするやつは人間のクズだ」と言われ、怒りが込み上げて来たそうだ。自分にも言い分はあり、怒りを抑えられず抗議をしようかと考えたほどだった。

その先生曰く、多くの人々の前で結婚という契約をしたにも関わらず、それを破棄した奴など信じられず、商売など出来るはずはないという事らしい。一部極論かも知れないが、確かにその通りである。

その後、その先生に倫理指導を受け、わがままがすべての原因であると気付き、今では毎日自分で定めた20の誓いを毎日実践している。

また、ある方から、家系図を書くと良いと言われて実践した。先祖にはいろいろな性格の人たちがおり、少なからず影響を受けているという事を知ると考えさせられる事が多いそうだ。

人間の人格は1)DNA、2)環境、3)教育によって形成されるそうだ。いろいろな人を見ていると親の影響を多く受けている事を感じるそうだが、1)、2)については自分ではどうにもならない事が多く、3)によって改善できる事が救いであると感じているとの事。

今では単会や県の要職を歴任し、法人スーパーバイザーとして全国を飛び回る田島氏は正に倫理の体現者であるが、その氏が現在に至るこれまでに壮絶な道のりがあった事は驚きを超え、衝撃的でもあった。田島氏が行き着き、反映の礎となっている倫理の素晴らしさを再認識する朝となった。

最後に田島氏の20の誓いを紹介したい。(氏はチェックリストを作成されおり、ご披露頂いた)
大いに参考にさせていただき、自分自身の誓いを作成したいものである。

1)目が覚めたらすぐ起床 2)親・祖先に感謝 3)100人の恩人に感謝 4)妻と子供に挨拶 5)妻を褒める。美点100発見 6)靴を磨く 7)食後の自分の食器洗い 8)自動車に礼 9)社員にありがとうを言う 10)社員に感謝 11)太陽に感謝 12)体の各部に感謝 13)会社の目標を紙書 14)トイレお風呂気付いたら掃除 15)腹筋100回 16)腕立て100回 17)週に2回MS出席 18)真向法 19)読書1時間 20)10秒間ワハハ(※これは皆で実践しました。アニマル浜口さんのアレです。)21)月に一度公衆トイレ掃除 22)月にハガキ50枚書く 23)月に一度先祖墓参 24)週一プール1000M泳ぐ

2011/02/18

第27回MS 高橋 良治氏/いい事だらけの障害者雇用

タイトル:いい事だらけの障害者雇用
講師:高橋 良治氏/株式会社バニーフーズ 代表取締役
日時:2011年2月18日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は当会会員でもある株式会社バニーフーズ代表取締役 高橋良治氏を講師にお迎えした。高橋氏は鎌倉材木座にて手作り弁当バニーを経営している。バニーフーズは創業25年を超え、地元では有名なお弁当屋さんである。当会でもイベント時のケータリングサービスなどでいつもお世話になっている。

高橋社長は昨年2010年の4月に障害者雇用を目的とした株式会社ラビーを設立し、成功を収めており、多方面から注目を浴びている。今回は障害者雇用の効用についてお話をお聞きした。

高橋社長曰く、「障害者の方々は何かをしてもらう事からではなく、働くこと、誰かに必要とされ役にたっている事で喜びを得る事が出来るのではないだろうか。彼らは職場にいる時は、家や施設にいる時と比べ物にならないくらい生き生きしている。」のだそうだ。

高橋氏は現在のように障害者雇用を行う、ずっと以前に一度、知恵遅れの男の子を採用した事がある。近所の方から自分の息子をぜひ雇って欲しいとの願いを聞き入れたのだ。しかしその当時は、本人も失敗が多く、周りも受け入れ態勢が出来ておらず、上手く行かなかったそうだ。当時お母様からの忠告もあり、もう二度と障害のある方を採用するのは止めようと思っていたそう。

しかし、障害者雇用のパイオニアと言われる新潟県基準寝具株式会社の渡辺トク氏の話を聞く機会があり、その認識は180度変わり、ぜひ自分でもやってみようという気持ちになったそうだ。

その後、今から8年前の平成14年に県の就労支援センターから、障害者雇用の依頼があり、鎌倉山にある障害施設から40代の女性が研修に来ることになった。当初は不安もあったものの、最終的にその方を雇用した事で、予期しない効果が現れた。当時の社内は女性同士の派閥抗争が激しく険悪な雰囲気が漂っていた。障害を持つ彼女が入社してからは、皆が協力して働くようになり喧嘩が無くなった。

その翌年には30代の女性を雇い、その方から、仕事が楽しくてしょうがないと感謝のされ、少しづつ障害者雇用の効果を実感できるようになっていたが、良い事ばかりではなかった。
手洗いをする場所を徹底できていなかったため、固形の石鹸がお弁当の中に入ってしまい、大きなクレームを受けたり、障害者の方の面倒を見る係りの方が、ストレスで辞めてしまったり、頑張ってと言う声をかけると頑張りすぎててんかんを起こす子など・・・

しかしその後、ひとつの転機が訪れる、前出の障害施設へ下請けとして、料理の下準備などの業務を依頼していたが、営業許可などの関係から、業務を続行する事が出来ないと言われ、自社で行う必要が出てきた。

その頃丁度、同友会の講演会で、リーマンショック後に仕事が激減したが、この制度を活用し、解雇ゼロで難局を乗り切った(有)ヨシダ精工 吉田 周生氏の話を聞く機会があり、この事業の成功を確信。高橋氏は「就労継続支援A型」の事業所である株式会社ラビーを2010年の4月に立ち上げ、現在知的障害の方を20名、精神障害の方を6名~7名雇用しているだ。

就労継続支援A型とは

障害者の雇用機会の拡大などを目指す事業として、2006年施行の障害者自立支援法で定められた。指定を受けた事業所は障害者と雇用関係を結び、最低賃金を保障する。社会保険の加入も義務付けられる。事業形態に応じた給付金が支払われ、国が半分、都道府県と市町村が4分の1ずつ負担する。申請には事業計画や収支見込み、職員の配置や作業場の間取りなどの書類が必要。ほかに雇用関係を結ばないB型がある。( 2011-02-08 朝日新聞 朝刊 1社会 ) 


中学受験がきっかけで発病し、幽霊のように暗い顔をしていた女の子が明るく元気に仕事をしている。親御さんからは、発病前の娘が帰って来たようだと感謝されている。
 
その他にも同様の例は事欠かないそうで、彼らは働ける場所さえあれば、立ち直る事ができると、高橋社長は熱く語る。
 
現在障害を持つ方々(知的・身体・精神)は350万人以上と言われているが、実際は障害者手帳を持っていない人を含めると1,000万人以上ではないかという人もいるそう。県下の養護学校は満杯でその数は不足している。また施設に入所した場合、就労する確立は2%に満たないとの統計があり、彼らが18歳~65歳まで就労せずに施設で過ごした場合、生涯に2億円の費用がかかると言われているそうだ。
 
高橋社長は障碍者雇用はやめられないと語る。非常に前向きな意味でだそうだ。以前にファンケルスマイルの前社長浅井氏に教わった事があるそうだ。

高橋氏の職場で働く障害者たちは非常に生き生きと働き、元気になっていく。それを目の当たりにした、高橋氏は自社のような働く場が増えることで、障害者の方々と事業者のWin-Winの関係が気付築けると確信している。実際に高橋氏も、本人からも家族からも感謝され楽しい毎日を過ごしているそうだ。障害をもつ人々も会社も国も皆が喜べるWin-Win-Win-Winの関係が更に広がることを願うばかりである。

企業としての社会的貢献を果たし、事業も順調に展開をしている高橋社長の株式会社ラビーはまさに21世紀型のモデル企業であり、「日本でいちばん大切にしたい会社」のひとつであると確信する。今後の更なる発展を期待するばかりである。

2011/02/11

第26回MS 青谷 洋治氏/社風・家風について

タイトル:社風・家風について
講師:青谷 洋治氏/株式会社坂東太郎 代表取締役
日時:2011年2月11日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は前夜のイブニングセミナーに引き続き、株式会社坂東太郎 代表取締役社長、青谷洋治氏を講師にお招きした。前夜の感動と興奮冷めやらぬ中のモーニングセミナーとなった。
 
青谷氏率いる株式会社坂東太郎はとんかつ専門店「かつ太郎」、カニ料理専門店「八幡太郎」、焼肉「百萬」などを茨城、栃木、埼玉、群馬、千葉に60店舗を展開。企業理念に「親孝行~人間大好き~」を掲げ、「お客様に喜ばれ、社員が幸福になれる店づくり」をめざして躍進中の元気企業だ。
 
しかし現在の繁栄は一夜にして成し遂げられた訳ではなく、青谷社長の並々ならぬ努力によって多くの困難を乗り越えた結果なのだ。前夜のイブニングセミナーに続き、青谷社長の口から語られる言葉は、数々の経験に基づくものであり、本当に深い言葉であった。その珠玉の言葉を以下に纏める。


・良い出会いは人生を変える。

・社内では「頑張ろう」ではなく「幸せになろう」を合言葉にしている。

・ある日、奥様から、自分は幸せではないと言われた。研修旅行でハワイに行くのだが、いつも奥様は見送る側で一度も連れて行った事が無かった。奥様は感激し、以降社員の皆さんを心から喜んで見送るようになった。やはり自分が幸せでないと人を幸せにする事は出来ない。まずは、一番身近な人を幸せにする必要がある。

・秘書の方が朝早くから、ドライヤーを部屋に持ってきてくれた。細やかな心遣いがありがたい。

・目標やライバルを持つことは重要である。

・当社の目標企業は全日空。業界は違えど一流のサービスを提供している同社を目標にしており、制服なども一部参考にさせてもらっている、また同社の社員の方々に目標企業であるという事を宣言し、交流も盛んである。

・坂道の法則というのがある。努力が足りないと坂を登れない。仕事とは楽しくなるものである。勉強もしかりである。自分が楽しくないと言うのは、自分がまだそこまで達していないという事であり、努力が足りない証拠である。倫理を通していろいろな方に出会い、良い話を聴いても実践をしなくては無意味である。

・千円台の本には結論の手前まで、高い本には答えまで書いてある。

・メニューや売上を同業者に公開している。なぜそんな企業秘密を惜しげもなく明かすのかと言われる。しかし、こちらが見せると他者もいろいろな情報を教えてくれる。どれだけ公開できるかが重要だ。

・ライバルの同業者が山口と鹿児島にいる。いずれも地元では有名企業で繁栄している。・自分からライバルと宣言し、そこに何度も通って知り合いにあり、お互いに切磋琢磨で来る関係になる。先日そのライバルのうどんやさんのオーナーが多忙の中、来てくれた。非常に嬉しかった。

・雑誌などで取り上げられる繁盛店へは北海道から沖縄まで足を運ぶ。ある有名なお寿司屋さんを訪問し、担当の方にご案内頂いた。お店で一番美味しいお寿司を注文したら、うちのお寿司はやめておいたほうがいいと言われて愕然とした。社内の方に評価をさせたところ、やはり低評価だった。働くものが自信を持ってすすめられないというのは良くない。

・魚沼産コシヒカリを店舗で精米し使用している。(精米機を各店に置いている。)この美味しいお米は大好評である。そこまで徹底して美味しさを追及する必要を感じている。

・会社30年説と言われ、会社にも賞味期限がある。過去に役職者全員の役職を一旦降りてもらった事がある。

・自分の身内の昇進についても、社員に相談、納得してもらい役職をつけた。自分に厳しくなくては、人はついて来ない。

・スピードは重要である。すぐやる。またすぐやめるのは難しい。不採算店舗でも続ける必要がある店舗もある。

・倫理法人会のセミナーで98歳の女性に出会った。なぜ勉強しているのかと尋ねた。「一生勉強」という言葉が返ってくるかと思ったら違っていた。息子たちが自分の姿をみて勉強してくれるように自分が勉強しているという答えに感動した。息子さんは3人いて、いずれも東大卒の医師などだぞうだ。すぐに手紙を書き返事が来た。サボってはいけない。学ばなくてはいけないと改めて思った。

・坂東太郎では見た目が65歳の人は定年である。実年齢がそれ以上でも、見た目が65歳以下なら勤続可能であり、多くの高齢の方が元気に働いている。

・強く必要とされる人であり、商品である事が重要である。

・社風・家風について

・昔、出前でいろいろなご家庭に料理を届けた。裏口から家にお邪魔する事が多く、その時に感じた事がある。持ち家のご家庭はきれいに片付いている。アパートの人は醤油やソースがテーブルに乗ったままだったり、家が片付いていない人が多かった。

・靴を揃える事は大切なこと。食事をきれいにするのも大切。きれいに美しくというのがキーワードになるのではないか。

・会社のレベルを図るのは、従業員同士の会話である。会話のレベルがその会社のレベルである。

・幸せとは、人に愛される事、褒められる事、役に立つこと、必要とされる事である。

2011/02/10

経営者イブニングセミナー 株式会社坂東太郎 代表取締役 青谷 洋冶 氏

逗子葉山倫理法人会主催 経営者イブニングセミナー

多くの方にご参加頂き誠にありがとうございました。
青谷社長より、含蓄のある示唆に富んだ珠玉のようなお話を沢山お聞かせ頂きました。











「親・孝・行」で商売繁盛!
株式会社坂東太郎
代表取締役 青谷 洋冶 氏

過当競争と景気悪化の影響を受け伸び悩む外食業界にあって、右肩上がりの業績を続けている坂東太郎。出前中心の、たった1軒で始めたお店から、北関東を中心に直営店56店、FC4店の合計60店舗を展開するまでに至った経緯について、その間に起きた様々な困難やエピソードを交えてお話いただきます。飲食業界の方はもちろん、他業界の方々にもデフレ不況へ立ち向かうためのヒント満載のセミナーです。ぜひ奮ってご参加下さい。

日   時 : 2011年2月10日(木) 18:30~20:00 (18:00開場)
参加費 : 講演 1,000円  懇親会 2,000円
会   場 : 湘南国際村センター会議室「ルミエール」
お申込  : FAX、電話、又はメールにてお申込下さい。


青谷 洋冶氏プロフィール
昭和26年茨城県生まれ。24歳で独立開業。昭和50年に、そば・うどん・寿司のファミリーレストラン「ばんどう太郎」第1号店を出店以来、順調に事業を拡大し、現在は、とんかつ専門店「かつ太郎」、カニ料理専門店「八幡太郎」、焼肉「百萬」などを茨城、栃木、埼玉、群馬、千葉に60店舗を展開。企業理念に「親孝行~人間大好き~」を掲げ、「お客様に喜ばれ、社員が幸福になれる店づくり」をめざして躍進中の元気企業。「ガイアの夜明け」でも地域密着でデフレと闘う企業として取り上げられた。

2011/02/04

第25回MS 関 伸司氏/「人生七転び八起き」・・・波乱爆笑PARTⅡ

タイトル:「人生七転び八起き」・・・波乱爆笑PARTⅡ
講師:関 伸司氏/株式会社葉山クリエイト 代表取締役
日時:2011年2月4日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は当会副会長の関伸司氏を講師にお迎えした。関氏の率いる株式会社葉山クリエイトは、葉山、茅ヶ崎、南林間に読売新聞の販売店を3店舗経営する地元密着型の安定的なビジネスを展開している。現在は順風満帆であるが、これまでの人生は波乱万丈、山あり谷あり、本日はその一部をご紹介頂いた。

関氏は福岡県の北九州出身。当時の経済的な理由から大学進学を諦め、東京で大手建築会社のインテリア部門に就職。全力で仕事に取り組む姿が評価され、20歳の時に松戸の大型案件の現場監督のチャンスを掴むも、大型案件故に、工期は10年。当然出世コースであったが、20代の全てがそこで終わってしまうという危機感から、周りの反対を押し切って退社を決めた。

起業を志し、寝る間を惜しんでアルバイトを3つ掛け持ちし、開業資金を調達。友人と一緒に歯磨き粉の販売代理店を起業。念願の独立を果たすも、経営が上手くいかず、負債を負うことに。しかし、関氏の働き振りをみた、医薬品会社の社長より声がかかり販路拡大に貢献。事業は順調に拡大したが、この会社もスポンサー企業からの乗っ取りを受け、結局関氏も退社に至る。

その後、英会話教室の営業などを経験し、27歳の時に既に引越しは7回を超えていた事もあり、其の頃には、もう落ち着きたいという気持ちが強くなっていた事もあって、地域密着のビジネスである新聞販売に興味を抱き、まずは拡張員からスタート。全国をまわり優秀な成績を残した。全国をまわり出会った、数多くの販売店の所長さんの中から、尊敬できる所長さんのリストを作成し、まずは一番上の久里浜の所長さんの元で販売店の修行を開始。熱意と創意工夫をもって仕事に取組む姿が認められ、通常10年かかると言われる独立へチャンスが4年半で巡って来る。お世話になった所長さんやそのご家族の協力もあり、34歳の時に葉山で現在の会社を創業した。その後、ご自身のポリシーである地域密着、地域貢献を主眼に置き、狩猟型営業から農耕型営業への転換が奏効。販売数は伸び、本社からの賞を数年連続で受賞。40歳の時に2店目の話があり、実力が試される2店目も軌道に乗せ、その後、成績の芳しくない店舗を改善するなど、現在は3店舗の経営を任されている。

新聞販売業への転進以降、全てが順調のように思われるが、同業の多くの役を受け自分を見失ったり、社内評価制度が上手く機能をしないなど、困難も少なくなかったそう。2006年には念願の森戸海岸の前に新店舗を建設し、念願のシアタールームも完成したが、目標を達成した後の燃え尽き症候群に悩まされる。

そんな中、もう一度自分の人間力を磨く必要性を感じ、田山学校、西田塾などへ通い、自分自身を見つめ直す事に成功。現在は「地域のお役立ち企業」を目指し、社員の方々と共に日々邁進している。

関氏は先に紹介したシアタールームを地元のフラダンスサークルなどに開放したり、一部の店舗ではクリーニングの取次ぎを併設、また各店では産直品の販売を行っている。加えて、「湘南元気塾」と名付けたセミナーを主催し、元気を与えてくれる有名講師を招聘し、地元の人々を対象としたセミナーを開催している。完全に新聞販売の枠を越え、既に地域お役立ち企業である。しかし関氏の夢は更に広がり、移動販売者による、物販や蔵出し酒の取扱なども視野に入っているそうだ。

関氏は昨今、社員とその家族の方々の幸せを一番に考えるようになったそうだ。関氏の下を離れ独立した2店のオーナと共に、成功基金と名づけられた基金は、毎月10万円づつ出し合い、合計50万円の積み立てし、今後の独立志願者を資金面で応援する事を目的にしている。社員の方々への愛情と結果主義ではなくプロセスを重視する経営方針が浸透して来た昨今は、離職率が激減し、社員1人ひとりが積極的に仕事に取組んでくれるようになったそうだ。

10年以上前に氏がある雑誌のインタビューに答えた記事を拝見した。そこにはまさに今の関氏の会社の姿が描かれている。氏も最近その記事を発見しびっくりしたそうだ。

関氏の講話からは数多くの学びがあった。

氏は常に真剣に自分の人生に向き合い、自分探しの旅を続けていた。また目標を明確にし、確実にそこへ向かって努力する勤勉さと堅実さを持ち合わせていた。そして最後にはその夢を実現する姿は、正に感動的である。その途中でのご苦労や経験は全て無駄にはなっておらず、まさに現在の成功のために必然だったのではないかと思われるのである。

氏は関わる全ての方々に愛を持ち、温かく接してくれ、表面的ではない心の通ったお付き合いをしてくれる方である。ご自身が多くの苦難を潜り抜けて来ているからこそ、他人への温かい気持ちをもっているのではないだろうか。容貌もダンディである事に加え、気さくで温かい関氏は当会にも多くのファンをもつ。

山中湖畔にセミナーハウスを建て、そこで多くの人を元気にするセミナーを開催する事や、家具工房を併設する夢を関氏はきっと実現させる事を確信してやまないのだ。


2011/01/28

第24回MS もりや 櫟(くぬぎ)氏/童謡・唱歌の意義と役割

タイトル:支童謡・唱歌の意義と役割
講師:もりや 櫟(くぬぎ)氏/童謡・唱歌・叙情歌 歌手
日時:2011年1月28日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F


もりや 櫟(くぬぎ)氏 プロフィール
洗足学園音楽大学音楽学部声楽科卒業。童謡・唱歌・叙情歌を国内外の各地で演奏する傍ら、イベントや演奏会のMC、ショップチャンネルゲストを務める。
2009年5月「虹とうたおうコンサート」開催。ジャズの第一人者前田憲男氏のオリジナルアレンジ「虹の彼方」他、数曲を前田憲男氏のピアノ伴奏で歌う。

もりや 櫟(くぬぎ)ホームページ

もりや 櫟(くぬぎ)さんは歌手であり童謡・唱歌・叙情歌の研究家でもある。ラジオ番組でMCなども務める方でとっても滑舌がよく迫力のある声が会場内に通るのでとっても聴きとりやすかった事に驚きました。やはり喋りのプロという印象でした。

唱歌は明治時代には富国強兵の役割を持っていました。時代と共に唱歌は、歌詞を変えていきます。戦後、日本の音楽教育はGHQの指導の元に西洋音楽になっていきます。その本来もっている歌詞の意味を変えていきます。

童話で有名な一寸法師の童話の話は、小人が人間を倒すシーンが小国が大国を倒す願いがこもった歌だと判断されGHQに嫌われました。

国家の「君が代」の"君"は本来、天皇のことではなく"尊敬する人・大切な人達"という意味があったそうです。

よく唱歌の作詞・作曲者の名前が「不明」と書いてあるときがあります。それは、複数名の人間で作った作品のため「不明」としてあります。当時は音楽家が歌をつくるだけでなく国の指導の元に複数名で音楽を作る事もあったそうです。

唱歌の「春の小川」をご存じでしょうか?あの歌を聞いてイメージする地域はどこでしょうか?正解は、東京都の代々木です。昔は小川がせせらぐ地域だったのですね。

今、ゆとり教育で学校での音楽の時間は週1.4時間ほどだそうです。自由と放任は違うのに同じに考えてしまっている風潮がある。童謡・唱歌で正しい日本の文化を、子ども達に伝えて行きたい。と、もりや氏は最後におっしゃっていました。
 

2011/01/14

第23回MS 土居 清美氏/支援とは何か?

タイトル:支援とは何か?
講師:土居 清美氏/認定NPO法人タヤマ実践カレッジ 理事長
日時:2011年1月21日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

土居 清美氏 プロフィール
1959年生まれ。北九州出身。小倉高校、山口大学卒業後、リクルート入社。
その後、独立し現在に至る。

平成19年にカンボジアに赴任。日本語学校を立ち上げる。平成21年にはチェンマイに2校目を立ち上げ、現在は日本と現地を往復している。
認定NPO法人タヤマ実践カレッジ Webサイト


本日は、認定NPO法人タヤマ実践カレッジ理事長 土居清美氏を講師にお迎えした。タヤマ実践カレッジはタヤマ学校が母体となるNPO法人で、現在日本に存在する約4万社のうち、200社程度(0.5%)のみに与えられる、"認定"の冠をもつNPO法人である。タヤマ学校は43年の歴史を誇る日本有数のビジネススクールであり、当会にも卒業生が数名在籍している。今回はそのご縁で講話実現したと言う訳だ。

タヤマ学校は「人はどんな人でも能力を持っています。決して能力のない人はいません。自分自身の能力を最大限に引き出し、自分自身の成功と価値ある目標を持つこと、その出発点に立つことをタヤマ学校は原点」として数々の教育プログラムを実施しており、2,500社、6万5千人以上の卒業生を輩出。その多くの卒業生である経営者、従業員が様々な業界で活躍をしている。

田山敏雄氏は経団連の会長も務めた土光敏夫氏の秘書を経験後、独自のセールスノウハウを駆駆使し、ブリタニカのトップセールスマンまでに登り詰めた。昭和42年に現在のタヤマスクールをスタートし現在に至っている。まさに日本のビジネススクールの草分け的存在の方である。

タヤマ学校の40周年に田山校長が、念願であった海外での学校設立をカンボジアで行う事を決め、帰国し、社員にカンボジア行きの志願者を募った際に、当時、タヤマ学校の社員だった土井氏は迷わずその場で挙手をしたそうだ。校長のあまりの突然の話に、他の社員は驚くばかりだったそうだが、土井氏は迷わずすぐに手を上げ、現地学校の責任者はその場で土井氏に決定した。土井氏はまさにチャンスの神様の前髪をすかさず掴み取ったのだろう。

しかし、その後は大変な日々を過ごす事になる。まずは家族の説得である。一年の多くを海外で過ごす事になるという決断をした後からの説得は非常に困難だったらしい。しかし、土居氏の熱意が家族の方々に伝わったのだろう、まずは娘さんが、カンボジア行きを肯定してくれるようになり、その後、奥様も了解してくれたそうだ。

その次の困難は開校までのハードな日程である。赴任後、開講までの期間は僅か一ヶ月!。その間に自分の住む場所はもちろん、学校施設の場所を決め、賃貸契約を済ませ、生徒を募集し・・・そして、田山校長からのもうひとつの大きなミッションである、カンボジア政府公認となり、調印式を行うと言うのだ。しかも運が悪いことに、丁度土居氏が赴任した4月は現地の正月となり、約一週間はほとんど何も出来ない空白期間となってしまったそうだ。

しかし、土居氏はリクルート時代に培ったガッツとパワーでこれらの困難なミッションを遣り遂げ、一ヶ月後の調印式は政府関係者や田山校長をはじめ、日本の関係者の多くも参加し、盛大に執り行われたそうだ。このニュースはカンボジアでもその日のトップニュースとして、TVなどでも大きく報道された。

タヤマ実践カレッジは、学びたくとも学べない、働きたくとも働けない若者達に、学ぶ場と働く場を提供し、彼らが将来自国の発展に寄与できる人材へと育成する学校であり、日本語を含め、日本の文化や習慣が学べ、しかも学費が無料であると言うこともあり、応募が殺到したらしい。その数定員250名に対し、1200名以上の応募があったそうだ。中国にGDP2位の座を奪われ、国全体が自信を失いかけているように感じる日本であるが、カンボジアへのODA拠出額世界一である日本の事は現地でもよく知られており、日本への感謝と憧れの気持ちは多くの人々の心に浸透しているそうだ。

ポル・ポト政権下で多くの知識人たちが大量に虐殺されたカンボジアは再生に向け踏み出しているが、そんな中でやはり重要になるのは教育であることは間違いない。今だ多くの人々が貧困に喘ぎ、満足な教育を受けられるはほんの僅かな人たちに限られる。平均年齢22.1歳(2008年推定値)は日本の約半分。平均寿命も50歳に満たないカンボジアは高齢化に苦しむ日本とは全く逆の若い国である。現地の人々の目はキラキラと輝いているそうだ。戦後の復興期の日本のようだと田山校長は語ったそうだ。

そんな中でタヤマ実践カレッジが果たす役割は非常に大きいのではないだろうか。学生たちの様子をDVDで見せて頂いたが、彼らにとってこの学校は希望の光なのだ。彼らの活躍とカンボジアの再建が早期に実現する事を祈りたいものだ。

タヤマ実践カレッジはタヤマ学校の卒業生の方々の善意によって運営されている。しかしカンボジアに続き、チェンマイ、そして近日ラオスへの展開を考えている状況では資金は充分と言えず、多くの方々の更なる善意を募っているそうだ。

寄付はもちろんだが、募金箱の設置など、様々な支援の方法が用意されているので、出来る事から実践して行きたいものである。

最後に、支援とは何か?土居氏は「最初は一方通行のものかと思っていたが、支援する側は、支援される側から、多くのものを与えられる」と語る。支援とはする側も、される側も多くのものを与えられるものなのだ。「人の喜び、我が喜びに・・・」 本当の支援を実践できた時、我々は多くの喜びを頂く事が出来るのであろう。土居様、本日はありがとうございました。

第22回MS 松本 光司氏/変化が表れる時

タイトル:変化が表れる時
講師:松本 光司氏/社団法人倫理研究所 法人局普及事業部 首都圏方面 副方面長
日時:2011年1月14日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は倫理研究所の首都圏副方面長 松本光司氏を前日の役員研修に引き続き講師にお迎えした。松本副方面長と当会にはご縁が深く、準倫理法人会の設立時から数えて、一年半の間に3回目の訪問を頂いた。178単会を担当に持つ、松本副方面長に3回目の訪問を頂くとは、只ならぬご縁を感じざるを得ない。土佐男児の氏はいつも凛としており、我々によい意味での緊張感を与えてくれる。その容姿と身のこなしには清潔感と清清しさが溢れており、その姿を拝見しているだけで、何とも心が洗われる気がするのである。

松本副方面には、まず、本日輪読を行った『万人幸福の栞』第五条(夫婦対鏡)について、解説を頂いた。この世に存在する万物は全て対立しており、対立していないものは存在しない。明と暗、プラスとマイナス、そして男性と女性等々。対立関係にあるものが存在するからこそ、それぞれが引き立ち、存在感が増す。また、その対立するもの同士が交わる事により、全く新しい何かが生まれるのだそうだ。経営と家庭との因果関係は無いのではないかという人がいるが、それは大きな間違いであると氏は指摘する。経営者は利益を産み出だす存在である。その根源となる家庭の明朗愛和が経営者には必須なのだと・・・非常にわかり易く、納得の行く解説を頂いた。

そして、本日のテーマでもある、「変化が表れる時」について。
長年倫理の勉強をしているが、何も変わらないという人がいる。そういう人を観察していると実践が伴っていないことが多い事に気付くのだそうだ。明朗でなかったり、素直でなかったり、ハイの返事ひとつとっても、声がきちんと出ていないなど。まずは、理屈抜きにやってみる事が大事であると氏は言う。苦手な事をやってみる。出来そうもないと思い込んでいることをやってみる。MSに参加する日だけの早起きでなく、毎日目が覚めたらすぐに起きる。昨今の日本は高学歴社会となり、頭で考え過ぎる傾向があるようである。まずはあれこれ考えずに「理屈抜きにやってみる」事が大事。そうすれば、変化が現れる。なるほど、その通りであろう。

最後に、倫理は、非常識ではなく、『超常識』なので必ず実践する事で変化が現れる、との言葉を頂いた。何とも説得力がある、心強いお言葉である。前日の役員研修にて頂いた「実践を伴わない倫理は『毒』となる」というハッとさせられる言葉とともに、十分に噛み締め、頭でっかちになっていないか?実践が出来ているか?を自分自身に問い直す良い機会を頂いた。朝日の中に消えてゆく、松本副方面長の後姿を見送りながら、何とも清清しい気持ちになった。また早くお目にかかりたいものである。松本副方面長、ありがとうございました。
 

2011/01/07

第21回MS アミン・ウラー・ベーグ氏/目を覚ませ日本人!!~世界から見た日本の行方~

タイトル:目を覚ませ日本人!!~世界から見た日本の行方~
講師:アミン・ウラー・ベーグ氏/現地旅行会社 シルクロード キャラバン 代表
日時:2011年1月7日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は、現在葉山在住で、パキスタンにて旅行会社を経営するアミン・ウラー・ベーグ氏を講師にお迎えした。氏は、パキスタン政府 カルチャー・スポーツ&ツーリズム省 登山・トレッキング・文化・ツアー 全科目取得の公認ガイドで、パキスタン及び周辺国のツアーのコーディネートに加え、テレビ取材コーディネーション・ジャーナリスト・通訳としても10数年のキャリアをもっておられる。先日放映されたNHKの番組のコーディネーションも氏が行ったそうだ。また、氏は10数言語会話能力を身に着けておられるそうで、日本語についても、目をつぶって聞いていたら、日本人と間違えるのではないかと思うくらい流暢にお話を頂いた。

アミン・ウラー・ベーグ氏を含め、パキスタンの人々は、親日感情が強いらしい。氏の最初の日本との出会いは三菱製の鉛筆だそう。また、日露戦争の時代に祖父がイギリス軍に従軍し、同盟国であった日本人について、勤勉、誠実という印象をもち、それを氏に良く話してくれたそうだ。また、パキスタンにおいて、当時、殆どの家電が日本製であり、高性能で耐久性の高い日本製品は、パキスタンの人々に日本の良いイメージを植え付けたようだ。
しかし、ここ10年くらいの間に現地の家電製品は殆ど中国製や韓国製に打って変わり、日本製をあまり見かけなくなってしまったとの事。現地では、日本のメーカーは家電の生産を止めてしまったというデマが流れるほどらしい。

パキスタン人のベーグ氏からみて、今の日本は本当に元気を失ってしまったように感じてならないと言う。また、政官あげての、外交やセールスの下手さ加減が非常に目に付くらしい。昨今そのような動きにより、原発プラントの受注に成功した例などが報道されているが、まだ、中国や韓国などのアジア諸国に比べると日本が出遅れている感は否めないと言う。

その他、こんな事を感じているそうだ。

・日本は60歳以上の方々が元気だ。(若い人が元気がない)
・パキスタンを訪れる観光客は9.11以降、約1/10程度になっている。現在パキスタンを訪れる観光客はバックパッカーが殆どだそう。
・日本人の女性は元気がある。ホテルやレストランを経営する日本人女性が少なくない

そこで、氏は、日本人はもっと外に目を向けるべきだ!日本のビジネスマンよパキスタンでビジネスを始めるべきだ!と提言する。
氏の母国パキスタンは、日本での報道とは裏腹に安全で多くの素晴らしい観光資源(8000m級の山岳地域や数多くの仏教遺産、「風の谷のナウシカ」の舞台とも言われる、フンザ地方・アルティット村等々)や世界遺産(モヘンジョダロやハラッパなど)を持っており、しかも日本で言われているほど危険ではないそうだ。タリバンなどの紛争地域は現地の人々も寄り付かない国境付近なのだそうだ。

例えば、パキスタンの農業人口は多いが、生産、物流など日本ほどシステマチックになったいないため、日本の洗練されたシステムは向こうでは求められるのではないかとの事。(現地のマンゴーはまだ日本ではあまり見かけないが、氏曰く、世界で一番美味しいマンゴーだそうだ。)また急成長を続ける中国とインドとの国境を持つパキスタンは地理的にも優位性が高い。
なるほど・・・である。

日本人全体が元気を失っている昨今、ベーグ氏の話は我々を大いに勇気づけ、また示唆に富むものであった。当会の会員の業種は様々だが、それぞれに海外でのビジネスという事を、意識させてくれるとても素晴らしい講話をお聞かせ頂いた。

我々の頭の中から、パキスタンという国に対する先入観は消えうせ、皆、意識は既にパキスタンへ飛んでいた。誰かとも無く言い出したツアーの話は盛り上がり、参加表明をする方が10名を超えた。言葉だけに終わらせず、ぜひ実現したいものである。新たな気付きを与えて頂いたアミン・ウラー・ベーグ氏と氏を支える奥様に心より感謝申し上げる次第である。ベーグ様ご夫妻、ありがとうございました。

パキスタン現地旅行業&取材コーディネーション/シルクロードキャラバン社
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