2011/02/25

第28回MS 田島 眞治氏/倫理の実践により家庭・会社が変わる

タイトル:倫理の実践により家庭・会社が変わる
講師:田島 眞治氏/社団法人倫理研究所 法人スーパーバイザー
日時:2011年2月25日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は法人スーパーバイザーの田島眞治氏を講師にお迎えした。田島氏は群馬県倫理法人会及び太田市倫理法人会の相談役でもあり、前日の幹部研修でも講師を務めて頂いた。

田島氏のこれまでの道のりは決して平坦ではなく、多くの苦労と困難を乗り越え現在至っており、その一部をお聞かせいただいた。

以前から人生は神の演劇である、また自分にはサラリーマンは向いていないと常々感じていた、氏は学校卒業後、先輩が始めた会計事務所を手伝うも、そろばん(当時はそろばんによる計算が普通だった)が出来ない事が致命傷となり、2年でその事務所を去る。

農家の長男だった氏は、家業を手伝い始めたが、26歳の時、父親がわずか51歳で心筋梗塞で倒れそのまま即死。27歳で幼なじみと結婚するも嫁姑の不仲から、農家の後継を諦めた。結果、3000坪以上の土地の相続も次男へ。その後、スーパーへ就職するも鮮魚売場に配属され、結局2年で退職。

その後、税理士事務所に就職。32歳の時に税理士試験に合格し、33歳の時に独立開業した。開業後はがむしゃらに働いた。業績は投入した時間に正比例するというランチェスターの法則に従い、元旦以外はすべて朝の9:00~夜の11:30まで働いたと言う。公庫から500万の借り入れをしており、3年間で契約先を100社にするという目標をたて、必死に働いていたが、家庭を顧みる余裕はなかった。当時の奥さんの人身事故をきっかけに口論となり、一年の別居生活を経て、緑色の紙を持って現れた、妻と離婚する事になった。その時自分自身の全てが否定されたような気がして相当落ち込んだそうだ。また、家も新築したばかりで借金だけが残ってしまった。そんな時、やはり農家を継いでおけば良かったのではなかいと後悔のしきりに頭を過ぎったそうだ。

家庭がそのような状況で仕事のほうが上手くいくはずもなく、融資を受けた軍資金も底を尽いた。ボーナスの支払いのために友人を訪ね周り何とか100万円を掻き集めた。そんな時腹部に激痛を覚え、病院に行くと尿管結石と診断され、即入院となった。業績は改善しないが、心とは裏腹に体が動かず、その時は本当に倒産をも覚悟したそうだ。しかし毎日病院から従業員5人へ1人づつに電話をかけ何とか会社を支えて欲しいと頼んだ。従業員の方々をそれに答え、頑張りを見せてくれ難局を乗り切った。幸いにも病気は大事に至らず、短期間で退院する事が出来た。

その後、38歳の時に念願の顧問先100社を達成したが、何か楽しくなく喜びが涌いてこない状態となった。TKCの勉強会でユングの深層心理などを学び、カウンセリングを受けたところ、自己実現力やエネルギーはあるが、愛和が足りず、自己中心的だと言われた。従業員へのヒアリングなども行ってもらった結果、従業員のすべてが田島氏は話を聞いてくれない、わがままで独断的であるという印象を持っていたそうだ。

翌年39歳の時に過去最高の売上を達成し、長女も産まれた。また翌年には法人化も実現した。

そんな時、取引先の社長がA4の緑色の申込用紙を持ってやって来た。それが倫理法人会の申込書だった。当時は朝の4時頃にやって床に就くような状態だったため、入会はしたものの、半年間は一回も参加しなかった。その後、月一回程度参加するようになった時に、倫理研究所の先生の講話を聴く機会があった。その際に大声で、「離婚なんかするやつは人間のクズだ」と言われ、怒りが込み上げて来たそうだ。自分にも言い分はあり、怒りを抑えられず抗議をしようかと考えたほどだった。

その先生曰く、多くの人々の前で結婚という契約をしたにも関わらず、それを破棄した奴など信じられず、商売など出来るはずはないという事らしい。一部極論かも知れないが、確かにその通りである。

その後、その先生に倫理指導を受け、わがままがすべての原因であると気付き、今では毎日自分で定めた20の誓いを毎日実践している。

また、ある方から、家系図を書くと良いと言われて実践した。先祖にはいろいろな性格の人たちがおり、少なからず影響を受けているという事を知ると考えさせられる事が多いそうだ。

人間の人格は1)DNA、2)環境、3)教育によって形成されるそうだ。いろいろな人を見ていると親の影響を多く受けている事を感じるそうだが、1)、2)については自分ではどうにもならない事が多く、3)によって改善できる事が救いであると感じているとの事。

今では単会や県の要職を歴任し、法人スーパーバイザーとして全国を飛び回る田島氏は正に倫理の体現者であるが、その氏が現在に至るこれまでに壮絶な道のりがあった事は驚きを超え、衝撃的でもあった。田島氏が行き着き、反映の礎となっている倫理の素晴らしさを再認識する朝となった。

最後に田島氏の20の誓いを紹介したい。(氏はチェックリストを作成されおり、ご披露頂いた)
大いに参考にさせていただき、自分自身の誓いを作成したいものである。

1)目が覚めたらすぐ起床 2)親・祖先に感謝 3)100人の恩人に感謝 4)妻と子供に挨拶 5)妻を褒める。美点100発見 6)靴を磨く 7)食後の自分の食器洗い 8)自動車に礼 9)社員にありがとうを言う 10)社員に感謝 11)太陽に感謝 12)体の各部に感謝 13)会社の目標を紙書 14)トイレお風呂気付いたら掃除 15)腹筋100回 16)腕立て100回 17)週に2回MS出席 18)真向法 19)読書1時間 20)10秒間ワハハ(※これは皆で実践しました。アニマル浜口さんのアレです。)21)月に一度公衆トイレ掃除 22)月にハガキ50枚書く 23)月に一度先祖墓参 24)週一プール1000M泳ぐ

2011/02/18

第27回MS 高橋 良治氏/いい事だらけの障害者雇用

タイトル:いい事だらけの障害者雇用
講師:高橋 良治氏/株式会社バニーフーズ 代表取締役
日時:2011年2月18日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は当会会員でもある株式会社バニーフーズ代表取締役 高橋良治氏を講師にお迎えした。高橋氏は鎌倉材木座にて手作り弁当バニーを経営している。バニーフーズは創業25年を超え、地元では有名なお弁当屋さんである。当会でもイベント時のケータリングサービスなどでいつもお世話になっている。

高橋社長は昨年2010年の4月に障害者雇用を目的とした株式会社ラビーを設立し、成功を収めており、多方面から注目を浴びている。今回は障害者雇用の効用についてお話をお聞きした。

高橋社長曰く、「障害者の方々は何かをしてもらう事からではなく、働くこと、誰かに必要とされ役にたっている事で喜びを得る事が出来るのではないだろうか。彼らは職場にいる時は、家や施設にいる時と比べ物にならないくらい生き生きしている。」のだそうだ。

高橋氏は現在のように障害者雇用を行う、ずっと以前に一度、知恵遅れの男の子を採用した事がある。近所の方から自分の息子をぜひ雇って欲しいとの願いを聞き入れたのだ。しかしその当時は、本人も失敗が多く、周りも受け入れ態勢が出来ておらず、上手く行かなかったそうだ。当時お母様からの忠告もあり、もう二度と障害のある方を採用するのは止めようと思っていたそう。

しかし、障害者雇用のパイオニアと言われる新潟県基準寝具株式会社の渡辺トク氏の話を聞く機会があり、その認識は180度変わり、ぜひ自分でもやってみようという気持ちになったそうだ。

その後、今から8年前の平成14年に県の就労支援センターから、障害者雇用の依頼があり、鎌倉山にある障害施設から40代の女性が研修に来ることになった。当初は不安もあったものの、最終的にその方を雇用した事で、予期しない効果が現れた。当時の社内は女性同士の派閥抗争が激しく険悪な雰囲気が漂っていた。障害を持つ彼女が入社してからは、皆が協力して働くようになり喧嘩が無くなった。

その翌年には30代の女性を雇い、その方から、仕事が楽しくてしょうがないと感謝のされ、少しづつ障害者雇用の効果を実感できるようになっていたが、良い事ばかりではなかった。
手洗いをする場所を徹底できていなかったため、固形の石鹸がお弁当の中に入ってしまい、大きなクレームを受けたり、障害者の方の面倒を見る係りの方が、ストレスで辞めてしまったり、頑張ってと言う声をかけると頑張りすぎててんかんを起こす子など・・・

しかしその後、ひとつの転機が訪れる、前出の障害施設へ下請けとして、料理の下準備などの業務を依頼していたが、営業許可などの関係から、業務を続行する事が出来ないと言われ、自社で行う必要が出てきた。

その頃丁度、同友会の講演会で、リーマンショック後に仕事が激減したが、この制度を活用し、解雇ゼロで難局を乗り切った(有)ヨシダ精工 吉田 周生氏の話を聞く機会があり、この事業の成功を確信。高橋氏は「就労継続支援A型」の事業所である株式会社ラビーを2010年の4月に立ち上げ、現在知的障害の方を20名、精神障害の方を6名~7名雇用しているだ。

就労継続支援A型とは

障害者の雇用機会の拡大などを目指す事業として、2006年施行の障害者自立支援法で定められた。指定を受けた事業所は障害者と雇用関係を結び、最低賃金を保障する。社会保険の加入も義務付けられる。事業形態に応じた給付金が支払われ、国が半分、都道府県と市町村が4分の1ずつ負担する。申請には事業計画や収支見込み、職員の配置や作業場の間取りなどの書類が必要。ほかに雇用関係を結ばないB型がある。( 2011-02-08 朝日新聞 朝刊 1社会 ) 


中学受験がきっかけで発病し、幽霊のように暗い顔をしていた女の子が明るく元気に仕事をしている。親御さんからは、発病前の娘が帰って来たようだと感謝されている。
 
その他にも同様の例は事欠かないそうで、彼らは働ける場所さえあれば、立ち直る事ができると、高橋社長は熱く語る。
 
現在障害を持つ方々(知的・身体・精神)は350万人以上と言われているが、実際は障害者手帳を持っていない人を含めると1,000万人以上ではないかという人もいるそう。県下の養護学校は満杯でその数は不足している。また施設に入所した場合、就労する確立は2%に満たないとの統計があり、彼らが18歳~65歳まで就労せずに施設で過ごした場合、生涯に2億円の費用がかかると言われているそうだ。
 
高橋社長は障碍者雇用はやめられないと語る。非常に前向きな意味でだそうだ。以前にファンケルスマイルの前社長浅井氏に教わった事があるそうだ。

高橋氏の職場で働く障害者たちは非常に生き生きと働き、元気になっていく。それを目の当たりにした、高橋氏は自社のような働く場が増えることで、障害者の方々と事業者のWin-Winの関係が気付築けると確信している。実際に高橋氏も、本人からも家族からも感謝され楽しい毎日を過ごしているそうだ。障害をもつ人々も会社も国も皆が喜べるWin-Win-Win-Winの関係が更に広がることを願うばかりである。

企業としての社会的貢献を果たし、事業も順調に展開をしている高橋社長の株式会社ラビーはまさに21世紀型のモデル企業であり、「日本でいちばん大切にしたい会社」のひとつであると確信する。今後の更なる発展を期待するばかりである。

2011/02/11

第26回MS 青谷 洋治氏/社風・家風について

タイトル:社風・家風について
講師:青谷 洋治氏/株式会社坂東太郎 代表取締役
日時:2011年2月11日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は前夜のイブニングセミナーに引き続き、株式会社坂東太郎 代表取締役社長、青谷洋治氏を講師にお招きした。前夜の感動と興奮冷めやらぬ中のモーニングセミナーとなった。
 
青谷氏率いる株式会社坂東太郎はとんかつ専門店「かつ太郎」、カニ料理専門店「八幡太郎」、焼肉「百萬」などを茨城、栃木、埼玉、群馬、千葉に60店舗を展開。企業理念に「親孝行~人間大好き~」を掲げ、「お客様に喜ばれ、社員が幸福になれる店づくり」をめざして躍進中の元気企業だ。
 
しかし現在の繁栄は一夜にして成し遂げられた訳ではなく、青谷社長の並々ならぬ努力によって多くの困難を乗り越えた結果なのだ。前夜のイブニングセミナーに続き、青谷社長の口から語られる言葉は、数々の経験に基づくものであり、本当に深い言葉であった。その珠玉の言葉を以下に纏める。


・良い出会いは人生を変える。

・社内では「頑張ろう」ではなく「幸せになろう」を合言葉にしている。

・ある日、奥様から、自分は幸せではないと言われた。研修旅行でハワイに行くのだが、いつも奥様は見送る側で一度も連れて行った事が無かった。奥様は感激し、以降社員の皆さんを心から喜んで見送るようになった。やはり自分が幸せでないと人を幸せにする事は出来ない。まずは、一番身近な人を幸せにする必要がある。

・秘書の方が朝早くから、ドライヤーを部屋に持ってきてくれた。細やかな心遣いがありがたい。

・目標やライバルを持つことは重要である。

・当社の目標企業は全日空。業界は違えど一流のサービスを提供している同社を目標にしており、制服なども一部参考にさせてもらっている、また同社の社員の方々に目標企業であるという事を宣言し、交流も盛んである。

・坂道の法則というのがある。努力が足りないと坂を登れない。仕事とは楽しくなるものである。勉強もしかりである。自分が楽しくないと言うのは、自分がまだそこまで達していないという事であり、努力が足りない証拠である。倫理を通していろいろな方に出会い、良い話を聴いても実践をしなくては無意味である。

・千円台の本には結論の手前まで、高い本には答えまで書いてある。

・メニューや売上を同業者に公開している。なぜそんな企業秘密を惜しげもなく明かすのかと言われる。しかし、こちらが見せると他者もいろいろな情報を教えてくれる。どれだけ公開できるかが重要だ。

・ライバルの同業者が山口と鹿児島にいる。いずれも地元では有名企業で繁栄している。・自分からライバルと宣言し、そこに何度も通って知り合いにあり、お互いに切磋琢磨で来る関係になる。先日そのライバルのうどんやさんのオーナーが多忙の中、来てくれた。非常に嬉しかった。

・雑誌などで取り上げられる繁盛店へは北海道から沖縄まで足を運ぶ。ある有名なお寿司屋さんを訪問し、担当の方にご案内頂いた。お店で一番美味しいお寿司を注文したら、うちのお寿司はやめておいたほうがいいと言われて愕然とした。社内の方に評価をさせたところ、やはり低評価だった。働くものが自信を持ってすすめられないというのは良くない。

・魚沼産コシヒカリを店舗で精米し使用している。(精米機を各店に置いている。)この美味しいお米は大好評である。そこまで徹底して美味しさを追及する必要を感じている。

・会社30年説と言われ、会社にも賞味期限がある。過去に役職者全員の役職を一旦降りてもらった事がある。

・自分の身内の昇進についても、社員に相談、納得してもらい役職をつけた。自分に厳しくなくては、人はついて来ない。

・スピードは重要である。すぐやる。またすぐやめるのは難しい。不採算店舗でも続ける必要がある店舗もある。

・倫理法人会のセミナーで98歳の女性に出会った。なぜ勉強しているのかと尋ねた。「一生勉強」という言葉が返ってくるかと思ったら違っていた。息子たちが自分の姿をみて勉強してくれるように自分が勉強しているという答えに感動した。息子さんは3人いて、いずれも東大卒の医師などだぞうだ。すぐに手紙を書き返事が来た。サボってはいけない。学ばなくてはいけないと改めて思った。

・坂東太郎では見た目が65歳の人は定年である。実年齢がそれ以上でも、見た目が65歳以下なら勤続可能であり、多くの高齢の方が元気に働いている。

・強く必要とされる人であり、商品である事が重要である。

・社風・家風について

・昔、出前でいろいろなご家庭に料理を届けた。裏口から家にお邪魔する事が多く、その時に感じた事がある。持ち家のご家庭はきれいに片付いている。アパートの人は醤油やソースがテーブルに乗ったままだったり、家が片付いていない人が多かった。

・靴を揃える事は大切なこと。食事をきれいにするのも大切。きれいに美しくというのがキーワードになるのではないか。

・会社のレベルを図るのは、従業員同士の会話である。会話のレベルがその会社のレベルである。

・幸せとは、人に愛される事、褒められる事、役に立つこと、必要とされる事である。

2011/02/10

経営者イブニングセミナー 株式会社坂東太郎 代表取締役 青谷 洋冶 氏

逗子葉山倫理法人会主催 経営者イブニングセミナー

多くの方にご参加頂き誠にありがとうございました。
青谷社長より、含蓄のある示唆に富んだ珠玉のようなお話を沢山お聞かせ頂きました。











「親・孝・行」で商売繁盛!
株式会社坂東太郎
代表取締役 青谷 洋冶 氏

過当競争と景気悪化の影響を受け伸び悩む外食業界にあって、右肩上がりの業績を続けている坂東太郎。出前中心の、たった1軒で始めたお店から、北関東を中心に直営店56店、FC4店の合計60店舗を展開するまでに至った経緯について、その間に起きた様々な困難やエピソードを交えてお話いただきます。飲食業界の方はもちろん、他業界の方々にもデフレ不況へ立ち向かうためのヒント満載のセミナーです。ぜひ奮ってご参加下さい。

日   時 : 2011年2月10日(木) 18:30~20:00 (18:00開場)
参加費 : 講演 1,000円  懇親会 2,000円
会   場 : 湘南国際村センター会議室「ルミエール」
お申込  : FAX、電話、又はメールにてお申込下さい。


青谷 洋冶氏プロフィール
昭和26年茨城県生まれ。24歳で独立開業。昭和50年に、そば・うどん・寿司のファミリーレストラン「ばんどう太郎」第1号店を出店以来、順調に事業を拡大し、現在は、とんかつ専門店「かつ太郎」、カニ料理専門店「八幡太郎」、焼肉「百萬」などを茨城、栃木、埼玉、群馬、千葉に60店舗を展開。企業理念に「親孝行~人間大好き~」を掲げ、「お客様に喜ばれ、社員が幸福になれる店づくり」をめざして躍進中の元気企業。「ガイアの夜明け」でも地域密着でデフレと闘う企業として取り上げられた。

2011/02/04

第25回MS 関 伸司氏/「人生七転び八起き」・・・波乱爆笑PARTⅡ

タイトル:「人生七転び八起き」・・・波乱爆笑PARTⅡ
講師:関 伸司氏/株式会社葉山クリエイト 代表取締役
日時:2011年2月4日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は当会副会長の関伸司氏を講師にお迎えした。関氏の率いる株式会社葉山クリエイトは、葉山、茅ヶ崎、南林間に読売新聞の販売店を3店舗経営する地元密着型の安定的なビジネスを展開している。現在は順風満帆であるが、これまでの人生は波乱万丈、山あり谷あり、本日はその一部をご紹介頂いた。

関氏は福岡県の北九州出身。当時の経済的な理由から大学進学を諦め、東京で大手建築会社のインテリア部門に就職。全力で仕事に取り組む姿が評価され、20歳の時に松戸の大型案件の現場監督のチャンスを掴むも、大型案件故に、工期は10年。当然出世コースであったが、20代の全てがそこで終わってしまうという危機感から、周りの反対を押し切って退社を決めた。

起業を志し、寝る間を惜しんでアルバイトを3つ掛け持ちし、開業資金を調達。友人と一緒に歯磨き粉の販売代理店を起業。念願の独立を果たすも、経営が上手くいかず、負債を負うことに。しかし、関氏の働き振りをみた、医薬品会社の社長より声がかかり販路拡大に貢献。事業は順調に拡大したが、この会社もスポンサー企業からの乗っ取りを受け、結局関氏も退社に至る。

その後、英会話教室の営業などを経験し、27歳の時に既に引越しは7回を超えていた事もあり、其の頃には、もう落ち着きたいという気持ちが強くなっていた事もあって、地域密着のビジネスである新聞販売に興味を抱き、まずは拡張員からスタート。全国をまわり優秀な成績を残した。全国をまわり出会った、数多くの販売店の所長さんの中から、尊敬できる所長さんのリストを作成し、まずは一番上の久里浜の所長さんの元で販売店の修行を開始。熱意と創意工夫をもって仕事に取組む姿が認められ、通常10年かかると言われる独立へチャンスが4年半で巡って来る。お世話になった所長さんやそのご家族の協力もあり、34歳の時に葉山で現在の会社を創業した。その後、ご自身のポリシーである地域密着、地域貢献を主眼に置き、狩猟型営業から農耕型営業への転換が奏効。販売数は伸び、本社からの賞を数年連続で受賞。40歳の時に2店目の話があり、実力が試される2店目も軌道に乗せ、その後、成績の芳しくない店舗を改善するなど、現在は3店舗の経営を任されている。

新聞販売業への転進以降、全てが順調のように思われるが、同業の多くの役を受け自分を見失ったり、社内評価制度が上手く機能をしないなど、困難も少なくなかったそう。2006年には念願の森戸海岸の前に新店舗を建設し、念願のシアタールームも完成したが、目標を達成した後の燃え尽き症候群に悩まされる。

そんな中、もう一度自分の人間力を磨く必要性を感じ、田山学校、西田塾などへ通い、自分自身を見つめ直す事に成功。現在は「地域のお役立ち企業」を目指し、社員の方々と共に日々邁進している。

関氏は先に紹介したシアタールームを地元のフラダンスサークルなどに開放したり、一部の店舗ではクリーニングの取次ぎを併設、また各店では産直品の販売を行っている。加えて、「湘南元気塾」と名付けたセミナーを主催し、元気を与えてくれる有名講師を招聘し、地元の人々を対象としたセミナーを開催している。完全に新聞販売の枠を越え、既に地域お役立ち企業である。しかし関氏の夢は更に広がり、移動販売者による、物販や蔵出し酒の取扱なども視野に入っているそうだ。

関氏は昨今、社員とその家族の方々の幸せを一番に考えるようになったそうだ。関氏の下を離れ独立した2店のオーナと共に、成功基金と名づけられた基金は、毎月10万円づつ出し合い、合計50万円の積み立てし、今後の独立志願者を資金面で応援する事を目的にしている。社員の方々への愛情と結果主義ではなくプロセスを重視する経営方針が浸透して来た昨今は、離職率が激減し、社員1人ひとりが積極的に仕事に取組んでくれるようになったそうだ。

10年以上前に氏がある雑誌のインタビューに答えた記事を拝見した。そこにはまさに今の関氏の会社の姿が描かれている。氏も最近その記事を発見しびっくりしたそうだ。

関氏の講話からは数多くの学びがあった。

氏は常に真剣に自分の人生に向き合い、自分探しの旅を続けていた。また目標を明確にし、確実にそこへ向かって努力する勤勉さと堅実さを持ち合わせていた。そして最後にはその夢を実現する姿は、正に感動的である。その途中でのご苦労や経験は全て無駄にはなっておらず、まさに現在の成功のために必然だったのではないかと思われるのである。

氏は関わる全ての方々に愛を持ち、温かく接してくれ、表面的ではない心の通ったお付き合いをしてくれる方である。ご自身が多くの苦難を潜り抜けて来ているからこそ、他人への温かい気持ちをもっているのではないだろうか。容貌もダンディである事に加え、気さくで温かい関氏は当会にも多くのファンをもつ。

山中湖畔にセミナーハウスを建て、そこで多くの人を元気にするセミナーを開催する事や、家具工房を併設する夢を関氏はきっと実現させる事を確信してやまないのだ。