2011/03/11

第30回MS 田中 耕一氏/モーニングセミナーは宝の山

タイトル:モーニングセミナーは宝の山
講師:田中 耕一氏/平塚市倫理法人会 専任幹事/株式会社田中紙店 代表取締役
日時:2011年3月11日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は平塚市倫理法人会の専任幹事でもある、株式会社田中紙店、代表取締役の田中耕一氏を講師にお招きした。田中氏は平塚市倫理法人会でも、入会後一番変わった男と呼ばれているほど、倫理を実践している方だ。加えて、家庭倫理の会にも入会しており、千日皆勤も間近との事。本日は実践体験の報告とモーニングセミナーの効用について語って頂いた。

田中氏は倫理法人会に入会してまだ2年半しか経っていないそうだ。(とてもそうは見えないのだが。)田中氏の営む田中紙店は創業88年の会社で、氏はその3代目だそうだ。田中紙店は商店街の中心部に50坪を構える老舗の文房具店で、店頭での販売に加え、湘南地区の最も古いアスクルの代理店であり、県や市など役所官庁などとの取引も多いそうだ。とは言え、文具取扱業は衰退業種である事は否めず、この10年で文具店はなんと1/3まで減少したのだそうだ。近隣で言えば、大磯にはもう一店舗なく、平塚でも周りの文房具店は殆どなくなってしまったそうなのだ。確かに昨今はスーパーやディスカウントストア、百円ショップなどの台頭により、文具店で文具を買うことは少なくなった。

そんな状況の中で事業を引き継いだ田中氏は、先代から周りに迷惑をかけないうちなら、事業を辞めても良いと言う、一見優しくも実は厳しい言葉をかけられていたそうだ。そのような厳しい状況の中で、倫理法人会と出会い、この2年半の中で状況が少しづつ変わって来たのだそうだ。田中氏曰く、倫理法人会の看板でもあり、一番美味しいところは、「早起きは反映の第一歩」、「今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます」というこの標語だと思うとの事。

まずは、この二つを実践するのがおすすめだそう。氏が元々倫理法人会に入会したきっかけは平塚の法人会が立ち上がって間もない頃、元々知り合いだった当時の会長、副会長が尋ねて来て、半ばお付き合い的な形での入会だったらしい。しかし、実際に参加してみて、すぐにこれは本物の会だという事に気付いた。田中氏は商工会議所やJC等の法人組織でも役を務めたり、研修などにも積極的に参加して来たが、自分の弱さや甘さ、そしていい加減さなども加わり、あまりに身になって来なかったのだそうだ。倫理法人会に入会する前の氏は出社時間も従業員の方々と変わらないくらいの時間だったり、年に数回は朝帰りの体調不良や風などで所謂ずる休みもしていたそうだ。しかし、倫理によって田中氏は大きく変わった。なんと2008年の10月20日から一日たりとも倫理を休んではいないのだそうだ。平日は家庭倫理の会へ毎朝5:00から参加し、金曜日は平塚市倫理法人会へ、1月2日には丸山敏雄先生の眠る多磨霊園に墓参するのだという。なんと一日も休まず、本日は881日の倫理への出席だそうだ。何とも恐れ入る限りである。正直なところ、881日の間、いつも体調が良いときばかりではなかったそうだが、1000日皆勤は自分との約束なので、這い蹲ってでも参加するという強い信念のもと、今まで皆勤を続けてきた。他人に褒められるためではなく、自分との約束を果たすため、粛々と1000日皆勤に向かって粛々と続けて行きたいと思えるようになったのも、他でもない倫理のお陰だと氏は言う。この881日間の実践に伴って氏に起こった体験や日々感じている事についてもお話いただいた。

氏は毎朝遅くとも3時33分に目を覚ますのだそうだ。これは万人幸福の栞の第三条33ページ(運命自招)に由来するのだと言う。朝起きは兎に角大事で、例え前日にサッカーのワールドカップを深夜まで観戦していても必ず、ぱっと起きる。それが大切である。朝起きをしな事が我侭の根源であるのだ。朝起きは自分自身を純情(すなお)に清浄化して行くことなのだと。

頼まれ事について。損得で返事をしては何も変わらない。今までの自分の価値観で判断する事になるからだ。自分の経験の中だけで判断していては何も変わらない。何かを受けた時は、必ずNoと言わず、ハイと答える。それが大事で、変化を起こす事になる。

倫理法人会の参事でもあり、自分の師匠のナカリングループ会長中嶌武夫という方がいる。日本で一番ベンツを売る方だそうだ。この方の素晴らしいところは決してNOと言わないのだそうだ。元々は二輪車の販売からスタートし、今ではベンツの正規ディーラーと国内自動車メーカーの販売店を経営するナカリングループの創業者である。中嶌会長は「今まで人に何かを頼まれて断った事は一度もない」そうなのだ。二輪車の販売しかしていなかった創業当時も、客に自動車は売らないのか?と言われ、まずは「ハイ売ります」と答えて、自動車の販売を始めたのだと言う。正に顧客志向そのものであり、現在の成功のカギがそこに含まれているのでなかろうか。田中氏は中嶌会長と倫理を通じて知り合い、その後も交流を続けているのだそうだ。このような師と呼べる方に出会え、お付き合いが出来るというのも、倫理の醍醐味である。田中氏は師匠の中嶌会長を手本としていろいろな事を真似しているそうだ。

昨年の5月は会社の決算月であり、七夕の準備、高津区の立ち上げのお手伝いなどで、多忙を極めていた。しかし、死ぬ気で立ち向かい全てをやりきった。「ハイ」の実践は非常に大事だと思う。大きな声ですぐに「ハイ」と答える。それが大事である。入会当初、平塚市倫理法人会で幹事の役がついた田中氏は、ハイの返事、例の所作などを、辞令交付式で教わり、身につけた。それが平成8年の7月19日。その後、11月6日に実践の結果が出た。地球・絵手紙ネットという6000人以上の団体があり、その会合が箱根で開催され、田中氏も絵手紙の道具を取り扱っている事もあり、招待を受け、業者表彰を受けた。全国から先生と呼ばれる方々が400名以上参加する会であった。何人もの表彰があったが、皆、返事の声は小さく、礼の所作もあまり良くなかったところに、田中氏の順番が来た。田中氏は辞令交付式同様に、大きな声で「ハイ」と返事し、壇上に上がり、キビキビとした美しい所作で賞状を受取った。以降の表彰者は田中氏を真似るように大きな声で返事をし、賞状を受け取るようになった。最後の記念撮影の時、業者という事もあり、遠慮して端に居たが、郵政省のキャリアでもあった先生から、お呼びがかかり、中央で写真に収まった。

また最後の挨拶をする筈だった方の代打で、指名がかかり、アドリブで挨拶をしたところ、大うけで、その後、全国から絵手紙の道具の注文が入り、なんと売上が3倍になったそうだ。教わった事をただただ愚直に実践するだけでも、これほどの効果があるものなのだと田中氏は強調する。
田中紙店では倫理の朝礼を行っており、田中氏も従業員の方々も得意先で気持ちの良い挨拶を実践しており、いろいろな変化が起こっているのだそうだ。

それから、こんなこともあった。田中氏が銀行の総会に出席した際に、背筋を伸ばし、背もたれを使わず、最後まできちんとした姿勢で座っていた。それを見ていた銀行の相談役が、あれは誰だ?という事になった。その後、その相談役が受勲することになり、そのお返しの品の注文が田中紙店に入ったそうだ。

田中氏は自分の価値観に拘らず、あえて嫌な事でも進んでやってみる、「ハイ」と答える。朝早く起きる、一円もかからない実践を行う事で、必ず環境が変わり、人生が変わると説く。

倫理を始めた当時、家庭の状況、仕事の状況も決して順調ではなかったというが、毎日倫理に真摯に向き合い実践する事で得られた素晴らしい体験をお聞きし、何とも勇気付けられ、また実践の至らなさを感じた。

最後にモーニングセミナーでは素晴らしい経営者との出会いがある。講話を聴き、朝食をともにすることで、より深く接する事が出来る。またその気になれば、師と呼べる方々との絆を深める事が出来、いろいろなアドバイスを受けることも出来るとモーニングセミナーの素晴らしさも語って頂いた。改めて倫理の奥深さ、そして実践の重要さを再認識する朝となった。

2011/03/04

第29回MS 新井 信昭氏/私の人生における3回のリセット

タイトル:私の人生における3回のリセット
講師:新井 信昭氏/新井国際特許事務所 弁理士/(株)グリーンアイピー 代表取締役
日時:2011年3月4日(金)6:30~7:30
会場:逗子キングプラザ4F

本日は弁理士の新井信昭氏を講師にお迎えした。新井氏は現在大学でも教鞭をとられているとの事で、滑らかな語り口で、3回の人生のリセットを語って頂いた。


新井氏は昭和35年大田区の生まれで福生で育った。当時横田基地にはB29が飛んでいたそうだ。高校卒業後、アルバイトとして西友デパートに勤務するも、幼なじみからみせられた大学の卒業証書に衝撃を受け、このままじゃ行けないと思ったのが22歳の時。その後、第一回目の青春のリセットとなる世界一周旅行を思いつく。通常の勤めに加えて新聞配達、その後タクシー運転手などに従事し、1年間で180万円を貯め、世界一周旅行を実現させた。世界旅行の最中で印象深かったのは、イスラエルで、そこにはバナナやアボガトの栽培、収穫などのアルバイトをしたそうだ。その後、当時国交の無かったエジプトとも滞在中に国交正常化が実現し、エジプト、マカオ、香港などを経て1年間の世界一周旅行が成功した。

帰国後、社会復帰をすべく、1年間の海外生活や横田基地の近くで育った事から、英語の力を見込まれ、秋葉原の免税店に就職。そこで5年間働き、その間にそこで奥様と出会い結婚し、お子様も生まれた。しかし、その仕事が天職ではないと感じ始め、家族の事や将来の事を考えた時、またリセットの時がやって来た。

都立高校卒業の学歴では、なかなか活躍の場も限られており、悩んだが、当時少しづつ話題になりつつあったライセンスビジネスというキーワードから、弁理士を目指す事にした。同級生に対するライバル心もあり、資格を取得して彼を見返したいという気持ちもあったそうだ。今でさえ1万人以上の弁理士がいるが、弁理士は当時(平成5年)は3,500名程度しかおらず、毎年の合格者は100人程度、合格率2.8%の狭き門だった。新井氏は途中諦めることなく8年間をかけてその資格を取得した。なんと弁理士を目指す事を決めた時にお腹の中にいた息子さんが、合格した時には小学校3年生になっていた。その間は仕事の傍らと週末は図書館通い続け、勉強、勉強の8年間だったそう。
合格後は、弁理士事務所に勤めるも、大学へ行き、いつか教壇に立つという夢はいつも忘れていなかった。サラリーマン時代に芝浦工業大学の試験に合格し、当時務めていた事務所の理解もあり、同時期に独立し、自身の事務所も立ち上げる。実はその資格を取ることで、ある程度時間が自由になる事から、大学へ通うことも視野に入れていたのだった。息子さんと同世代の学生たちと苦しくも楽しい学生生活を過ごし、20世紀中に大学を卒業するという目標も達成した。

そして第三のリセットはやはり密かな目標でもあった教壇への道だ。芝浦工業大学の近くに、東京農工大学大学院があり、弁理士という資格取得者である事も手伝って第二期生として見事合格。その後、教壇へ立つという夢を恩師に話したところ、その先生は「君たちの夢を叶えるのが私のミッションだから」と言う言葉通り、教壇に立つ機会を与えられた新井氏は、現在、東京農工大学にて教鞭をとっている。

現在、「知的財産マネージメント」を学生に教えているが、その実、人生はリセットがきくものであるという事も同時に教えている。昨年の日本国内の自殺者がまた3万人を超し、特に就職が出来ない事を苦にした学生の自殺が増えている事に、新井氏は非常に残念な思いを抱いているそうだ。

20代前半にタクシーの運転手時代に接客業で経験した事が、その後の人生に大きな影響を与えていると言う。そこには人生の縮図があると言う。多くのお客を乗せていると人には4つのタイプがある事に気付いたそうだ。1)教養も無く、人としても最低 2)教養は無いが人として素晴らしい 3)教養はあるが、人としては× 4)教養もあり、人としても素晴らしい。
新井氏は4)のタイプの人になりといと常々精進しているのだそうだ。

新井氏が学生に良く話している事がある。ハンディキャップは乗り越えるためにあると。新井氏が受けた弁理士資格も殆どの合格者が旧帝大と早慶の学生や卒業生ばかりのかなで、試験に合格するという事はかなりのハンディだったと思うが、それを克服した時にはアドバンテージに変わるのだ。

また、就職に関する相談も少なくないようで、縁があって入っる事になった会社はきっとあなたにとって良い会社である事は間違いない、しかし、もしそうでない時はリセットをすれば良いと話をするようにしているのだそうだ。新井氏のように多くの経験を積んで教壇にたった先生はエリートの先生に比べて魅力的に違いない。

新井氏の次の夢(第4のリセット)は現在在籍している大学院を卒業し、Drコース(博士号)の資格を取得し大学で教える事をライフワークする事だそうだ。

新井氏は過去のリセットについて軽快に、ユーモアを交えながらお話頂いたが、そのリセットを成功させた裏には並々ならぬ努力と苦労があった事は想像に難くない。正に実践をしてきた方なのだ。そのような人の言葉は重く、心に響く事を改めて感じた。参考になる話も沢山あり、非常に充実したMSとなった。新井先生には改めて心から感謝したい。感謝。

株式会社グリーンアイピー

新井国際特許事務所